日本のモデルファッションといえば、世界中に有名な竹下通りである。
原宿は新宿と渋谷に挟まれた交通の便のきわめてよい街である。
小田急線に接続する千代田線が走り、原宿は若者たちの街としてほとんど完成したといえる。
そこに登場したのが、竹の子族である。
今では竹の子族も、彼らの衣装を売っていた店もほとんど目にすることはないが、かつてはファッションの都パリでも彼らのことは有名であった。
「エル」誌にさえ、歩行者天国となった原宿に、あの長くひらひらさせた上着を身にまとった若者たちの集まった様子が、日本の新しい波として大々的に取り上げられたほどである。
彼らが好んで着た服を売っている店も原宿には多くあった。
このような状況の中で、九七八年、森ビルの開発で、ファッションビル「ラフォーレ原宿」が誕生したのである。
「ラフォーレ原宿」ほど、ファッションビルとして成功した建物はないのではないだろうか。
パルコ(西武系)やビブレ(ニチイ系)のようにファッションに強い一つの大手資本が経営したテナント店と異なり、全国的なファッションビルのフランチャイズ化の面では劣っているかもしれないが、その時々に人気のあるもの、とくに若者に受けているものを扱うという面では「ラフォーレ原宿」はきわめてすぐれていた。