ラフォーレ原宿でとりわけ売れたブランドは、原宿や青山に路面店を構え、テナント店では演出できない店構えをして、ブランドの価値を高めていく。
その一方で、「ラフォーレ原宿」にはいれないメーカーも山のように登場する。
それらの中には、原宿界隈のマンションの一室から生まれたブランドもある。
それはしばしばマンションメーカーと呼ばれ、ファッション業界での成功を夢見る小さなファッションメーカーの代名詞ともなる。
もちろん彼らの成功とは、「ラフォーレ原宿」のような有名ファッションビルにはいることであり、さらには路面に店を持つことである。
一九八〇年代はビギ・グループやファイブ・フォックス・グループが「ラフォーレ原宿」の中心だったといえる。
しかし、バブル経済の崩壊に、流行を追うファッションビジネスは瞬く間に反応し、「ラフォーレ原宿」にはいっているブランドの過半数が、異なるメーカーの新しいブランドに代わる。
それまでいたビギ・グループの多くのモデルご用達ブランドは、代官山などに移っていったのである。
おそらく、経済や社会の動きと密接に関係のあるファッション業界では、十年から多くて十五年くらいしか、一つのブランドがその人気を保つことができないのではないだろうか。